直六国防挺身隊

母は来ました今日も来た。嫁をイビリに今日も来た。

戦国ヒャッハー④

さてさて、格上の大軍勢に立ち向かう羽目になった、戦国最凶のシリアルキラー宇喜多直家
 
義理の父親の殺害現場である沼城に集結した宇喜多軍、その数5千。
一方、父親・大将の復讐に燃える三村軍は総勢2万。
 
宇喜多軍は最初に、三村側の前線基地である明善寺城を攻撃します。
その知らせを聞いた三村軍は、軍を先遣隊・中軍・本隊の3つに分け、先遣隊が明善寺城救援、中軍が背後から宇喜多軍を奇襲、本体が沼城を攻略する作戦をとりました。
 
そんな三村軍の動きを察知した直家さんは、力押しで一気に明善寺城を攻略するよう全軍に下知します。
直家さんらしからぬ、脳筋戦法ですなあ。
そして実際、あっさりと明善寺城を陥落させます。
 
それから直家さんは、明善寺城が陥落したことも知らず、のこのことやって来る三村先遣隊のコース上に、精鋭の鉄砲隊を配置。こうして庄元祐さん率いる三村先遣隊は、宇喜多鉄砲隊の一斉射撃を浴び、大混乱に陥って退却。
 
一方、中軍を率いる石川久智さんは、先遣隊の敗走を知り、さらに明善寺城の陥落を知りました。そこで作戦練り直そうとした矢先、宇喜多本隊に強襲され、石川さん率いる中軍も大損害を被りました。
 
そして最後の三村元親くんが率いる三村本隊と、直家さん率いる宇喜多本隊の直接対決です。
元親くんもがんばったのですが、直家さんは三方から三村本隊を攻撃し、見事、三村本隊をも打ち破ったのです。
 
要は、相手に作戦変更を余儀なくさせる状況を作り、それでモタモタしているタイミングで一気に攻撃したってワケですな。そのためにも、相手に気付く間を与えず明善寺城を攻略する必要があったので、直家さん柄にもなく脳筋戦法を行ったワケなのですな。
 
いずれにしても、5千で2万を打ち破ったこの戦闘で、直家さんが超一流の軍略家である事が証明されました。
つまり直家さん、普通に戦争すれば普通に勝てるのです。戦国武将として、ものすごく強いのです。
 
だからもし、直家さんが一般的な戦国武将のように普通に戦争していれば、小早川隆景黒田官兵衛太原雪斎さえも凌ぐ、戦国一の軍略家になれたかも知れません。あ、竹中半兵衛には勝てないかも。
 
でも、それをしないのが直家さん。
「あ~~、やっぱ戦争って肌に合わんわ。汗臭くなるし、服汚れるし、最悪や。もう二度としねえ」
という事で、宇喜多直家が正攻法で完全勝利した最初で最後の戦いがこの明善寺合戦なのです。
 
さて、やりたくもない戦争を終えた直家さんにはご褒美です。そうです、三村側に付いた連中の暗殺・謀殺です。
 
とまあ、こんな感じで暗殺・謀殺で着々と力を蓄えていく直家さん。そしてついにこの時が来ました。
そうです、下克上です。
やっぱ、ナウでイケてる戦国武将は下克上をしなければなりません。
 
てか、単純に直家さん、浦上宗景がキライだったと思います。いや、嫌うでしょう、普通。なんだかんだで直家さんの不幸の元凶は、全部コイツですから。だから、野心とかそーゆーのでなく、単に宗景をギッタギタにしたかったから下克上をしただけかもしれません。
 
直家さんは、織田信長や播磨の赤松政秀と示し合せクーデーを実行!
ところが近場のパートナーであった政秀さんが、柴田恭平岡田准一・・・じゃなくて、黒田職高・黒田孝高(官兵衛)親子にフルボッコされ、「ごめん無理」とドタキャンしてしまいます。さらに信長が送ったサポート隊も、織田の越前攻めを理由に撤収。
結果、この下剋上は失敗に終わります。
 
普通なら、直家さんは死刑です。でも許されます。要は、直家さんの代わりになる有能な人材が浦上家中にいなかったからでしょうな。
それと、直家さん、実はものすごい美形だったようです。で、お約束通り、浦上宗景はホモです。
それも、直家さんが宗景の寵愛を受けていた理由らしいです。
 
ホントのホントの本当に、この浦上宗景って殿様、ド腐れ外道の畜生真正ホモ豚野郎ですなあ。
だが、私は嫌いじゃない。
 
このクーデーター失敗から5年後、直家さんは再びレッツ下克上!
今度は宗景の兄の孫を神輿に担ぎ、まんまと成功。浦上宗景は播磨に追放されます。
そうそう、もちろんこの神輿にされた子供、お母さんともども直家さんに毒殺されます。
 
これにて晴れて「戦国大名宇喜多直家」が誕生するわけですな。実にめでたい。
その後も、親浦上派の連中を暗殺・謀殺しまくって、反乱をきっかけに親浦上勢力を一掃。宇喜多支配を盤石なものとするのです。
結果、備前のみならず備中・美作・播磨の一部も含め、50万石を誇る中国地方の一大勢力にのし上がるのです。
まあ、普通にすごい人です。
 
さてさて。
そんな感じで、いい感じになった直家さんに、新たなメンドクサイ出来事が起きました。
そーです、羽柴秀吉が率いる織田の毛利討伐軍の侵攻です。
 
とりあえず直家さん、毛利側について織田側の武将をやっつけたりします。やがて、秀吉さんがいよいよ迫ってくると、さっさと毛利を裏切る事にしました。
とは言え、毛利には小早川隆景がいるワケでして、そんな直家さんの動きを「怪しい」と睨んでいました。
だーいたい、その道じゃ前科が売るほど有り余っているお人ですから直家さん。
でもって隆景さんは、「ウキウキ詐欺被害者の会」の皆さまと頭の出来が違います。そのぐらい頭が良くなければ、黒田官兵衛のマブダチにはなれませんからね。
 
そんな矢先、隆景さんの所に直家さんからお手紙が届きました。読んでみると「今度、ウチでホームパーティを開くんだ。ぜひとも隆景さんにも来て欲しいなあ」と書いてあります。
するとお兄さんの吉川元春から電話が掛ってきました。話を聞くと「なんか宇喜多から俺の所にパーティの招待状が来たんだ。お前も行く?イヤー楽しみだなあ。何着ていこうかなあ」との事。
隆景さんはすかさず「お兄ちゃん、それダメ~!」と絶叫しました。
で隆景さん、「宇喜多の腐れ外道、自分と兄貴の首を手土産に羽柴に裏切る気満々やないか・・・」と確信したのです。
まあ、毛利の両川の首は「信玄・謙信の首 詰め合わせセット」に匹敵する、冬の元気な贈り物です。秀吉さんを通り越し、信長から「直家くんサイコ~~~!」となるでしょうからなあ。
 
直家さん的には「引っ掛かれば儲けもん」ぐらいのノリだったのでしょう。隆景さんを騙すのであれば、最低でも準備に10年は必要でしょうから。むしろ、これによって自分の裏切りを隆景さんに知らせたのかもしれません。
 
いずれにしても直家さんは毛利を裏切るのですが、ここで1つ問題が。
と言うのも宇喜多家の筆頭家老戸川秀安の次男が毛利に人質となっていたのです。で、この次男を助けるため、直家さんはたまたま宇喜多領内にいた、安国寺恵瓊拉致監禁
そんでもって毛利に「秀安の次男坊と、安国寺恵瓊を交換しましょう」という手紙を送ります。
 
家老の子供とはいえ、所詮は次男、基本的に要らない子です。一方、安国寺恵瓊は毛利の首席外交官。命の価値が全く異なります。でもまあ、毛利にしてみれば損な話ではないので、この人質交換を受け入れます。こうして秀安さんの次男坊は無事岡山に帰ってきましたとさ。めでたしめでたし。
 
直家さん、他人の子供より、自分の娘をもう少し大切にしてやれよ・・・
 
しかしこの頃、直家さんは重い病を患い、寝たきり状態になっていました。本当に病気だったのか、直家さんに殺された被害者の会の皆さんの祟りだったかは知りません。
 
でまあ、そろそろ死んじゃう頃合いに、家臣たちに「みんな、ワシと一緒にあの世に逝ってくれる?」と尋ねたそうです。
すると戸川秀安さんが「自分たちは戦場でたくさん人を殺したから、私らがいると殿を地獄に連れて逝くかも知れません。だから一緒に逝くなら、坊さんがおススメですよ」と答えたそうです。
 
いやいやいや、戸川さんたちは「連れて逝く」のではなく、「連れて逝かれる」側ですから。
 
でも、直家さんはこの秀安さんの答えに満足したそうです。要は、「お前ら、絶対に殉死するなよ」と直家ジョークで釘を刺したのです。で秀安さんが「大丈夫、殿が死んじゃってもウチ等で宇喜多家を、秀家くんを守っていくから」と答えたワケなのです。ブラックジョークのやり取りですが、それが宇喜多家中の通常運行です。
そのくらい、直家さんは戸川さんや花房さんたち家臣が大好きで、何よりも大切にしていたのです。そして、乙子城で一緒に苦労した家臣のみんなも、直家さんが大好きだったのです。
 
そして1581年(天正9年)、尼子経久毛利元就とともに「中国地方の三大謀将」と並び称せられた、権謀術数の申し子、宇喜多直家死去。享年53。
 
・・・とまあ、宇喜多直家の生き様を、ウィキとかを参照にしながら、文章で追ってみましたが、正直、この人の人物像、曖昧模糊としてよーわかりません。
怪人・松永久秀さんとか、狂戦士・森長可さんとかは、なんとなく「たぶんこんな人なんでしょ」と想像できるのですが、この人は想像できません。
 
実際、肖像画の類が一切現存しておらず、木像が唯一あったのですが空襲で燃えてしまい、その木像の写真しか残っていないのです。
そんな意味でも、非常にミステリアスな戦国武将です。
 
ものすごく良い人だった可能性は高いです。でも、それが本当に心からの優しさ・善意だったかは疑問です。いや、純粋に優しい人で、配下の武将や足軽の皆さんや領民が死んだり苦しんだりするのがイヤだから、戦争を極力避け、やむを得ず権謀術数と暗殺・謀殺で領地を守り、国を広げていたのかも知れません。
 
もしくは、単純に戦争は効率が悪く、暗殺・謀殺のほうが効率が良いってだけの理由で、暗殺・謀殺ばかりしていたのかも知れません。
 
でもやっぱ、騙されたと気付き、絶望と悔恨がゴチャマゼとなった表情を浮かべて死んでいく被害者を、ニヤニヤ笑いながら眺めているのが好きという、快楽殺人鬼だったのかも知れません。
 
要はですな、暗殺・謀殺以外のエピソードって、普通に良い人系が多いのです、この人。
久秀さんや、長可さんみたいに、普段から変態・ヤクザではないのです。普段は至極マトモなのです。
ま、それが人を騙すテクニックかも知れませんし。でも確証はありません。
 
だから、訳がワカランのです。
 
結局、直家さんの右腕として活躍した弟の忠家さんの言葉が、宇喜多直家という人物を最も正確に表現していると思います。
 
「兄は怖ろしい人でした。そもそも普段から何を考えているのか全くわかりません。ですので私は兄と会う時、必ず着物の下に鎖帷子を着込んでいました」