戦国ヒャッハー追記
そう言えば、なんで秀家くんが秀吉さんのお気に入りなったかは書いていませんでした。
まあ、単純に秀吉さんがエロジジイだったからです。
あ、秀家くんに欲情したのではなく、秀家くんのお母さんに欲情したのです。絶世の美女だったらしいのです、直家さんの二番目の奥さん。
で、秀家くんはお母さんのオマケとして秀吉さんに大事に扱われ、お父さんとは異なり素直な優等生としてスクスクと育ちましたとさ。めでたしめでたし・・・とはいかなかったみたいです。
それが「宇喜多騒動」の発端になって、まあ、あんまり宇喜多家的には良くなかったと思います。
それを乗り越え、まあ、なんとかなっていたのですが、関ヶ原の合戦で全部パ~。
ちなみに、この時点で宇喜多家中最強の男であるキリシタン武将・明石全登さんは、真田信繁(幸村さん)や後藤基次(今の大河に出ているチビッコその2)、毛利勝永、木村重成、長宗我部盛親らとともに、大坂の陣で大活躍するのであります。
いずれにしても、秀家くんが秀吉さんのお気に入りになれたのも、直家さんが毛利を裏切って秀吉側に付いたことがきっかけだったワケですな。
秀吉さん、実は、戦国三英傑で唯一のノンケです。
信長さんは蘭丸くんと、家康さんは直政くん(井伊の赤鬼・ひこにゃん)と、乳繰り合っていましたからね。
そうそう、直政くんがなんかで大阪城にいたとき、流石の秀吉さんも、「あ奴の美青年ぶりにワシ、あっち側に行きそうな勢いでグラッグラしてたわ。ヤバかった~」と回想しています。
「ホモだ!キショイ!!」的な文章を書いてきましたが、実は当時、ホモつーか、男色は「衆道」と呼ばれ、上流階級の嗜みと、世間一般に認知されておりました。今の感覚だと、乗馬やゴルフやオペラ鑑賞や社交ダンス的な受け止められ方だったみたいです。
だから、信長さんや、家康さんや、信玄さんや、政宗さんがホモだったのも仕方がないのです。つーか、ホモじゃないと「偉い人」って認めてもらえない、そんな社会風潮だったみたいですな。戦国時代。
で、下賤な出の秀吉さんは衆道には走りませんでした。
普通なら、てか、卑しい出自の自分を着飾るため必死になっていた秀吉さんなら、ハイソでセレブな衆道に手を出していたハズなのに。でもしなかった。
そうそう、秀吉さんって手の指が6本あったのですよ。
この時代、いわゆる「多指症」って、公家とか武家とか賤民とか身分に関係なく、結構多かったそうです。
で、いわゆる身分の高い人たちは、さっさと余分な指を切り落としていたみたいです。それも貴人の証的に扱われていました。
でも、秀吉さんはそれをしませんでした。痛いからしなかったとは思えません。自分の指を切り落とすなんて現代のチンピラヤクザでもできる事、秀吉さんクラスの英雄なら屁でもないでしょう。
でも、しなかった。
衆道を嗜まなかった、多指症を治さなかった。それは、いわば卑しい身分の証です。
そんな卑しい身分の証を維持しながら、日本国の絶対的支配者として君臨した豊臣秀吉。
なんか、底辺から這い上がったハングリー精神というか、既存の価値観・体制に挑戦する姿勢というか、ここいらに私は豊臣秀吉という英雄の矜持を感じてしまいますです。
最近は、豊臣秀吉の評判はあまりよろしくない気がしますです。
千利休を切腹させた事もそうですし、秀次の粛清とか。秀次粛清など、最上義光の娘である駒姫が処刑されるまでの経緯を知ったら、誰だって「駒姫ちゃんカワイソ過ぎる・・・ダメ!絶対!豊臣秀吉!」になると思います。確か毛利攻めの時なんかも、罪もない女子供を串刺しにしまくっていましたからなあ、秀吉さん。
基本的に、特にテレビドラマなんかは最大公約数なのですよ。だから、信長や秀吉や家康は、単なる有能で良い人に描かれます。ですが、実際の三英傑は、全く違いますです。つーか本当の三英傑は、最大公約数的なご都合主義の英雄ではなく、もっと複雑で深遠な善悪の彼方の人物だったはず。
最上義光、伊達政宗、北条早雲、北条氏康、上杉謙信、武田信玄、今川義元、朝倉宗滴、三好長慶、長宗我部元親、大内義興、尼子経久、毛利元就、龍造寺隆信、大友宗麟、島津義久、世代的にはバラバラですが、これらの最強クラスの戦国武将、誰が天下を取ってもおかしくないです。
でも、彼らを差し置き、なんで信長・秀吉・家康だったのでしょうね。
私の大好きな怪人・狂戦士・殺人鬼を超えた、支離滅裂でデタラメな人々だったからかもしれません。
一個人の資質だけでは、社会構造の変革が成し遂げられないほど、現代社会は複雑怪奇の多重構造。それを、1人のスーパーヒーローの存在だけで改善できると思っているのなら、真正のバカですなあ。
実際は、信長も秀吉も家康もあの時代の単なる記号でしかなく、個人がどーのという事ではなかったのかもしれません。ですが、そーでなかったと思わせてくれる「戦国時代」なるファンタジー・ワールドに、私は惹かれてしまうのです。
歴史とは、人間や環境や社会の一切を踏み潰しながら力強く前進する、1台のスチーム・ローラーなのです。
そのスチーム・ローラーに神なる運転手の存在を感じれば宗教です。感じなければ、歴史など単なる事実です。
そんな単なる事実に妄想を掻き立てられる変態が、「歴史好き」ってイタイ人々なのですな。