直六国防挺身隊

母は来ました今日も来た。嫁をイビリに今日も来た。

「カラーブックス」保育社

2018年になったので、新しい道楽でも始めてみようと思っていたのですよ。
で、始めたのが「カラーブックス収集」。
 
カラーブックスというのは、1962年から1999年まで保育社が刊行していた、文庫本サイズの実用書・図鑑・写真集・画集・百科事典的なシリーズもの。「読む文庫本ではなく、見る文庫本」ってのがキャッチフレーズだったとか、でなかったとか。
ジャンルも、自然・芸術・工芸・食・乗り物・スポーツ・紀行・ペット・園芸・模型・手芸・歴史などなど、非常に多岐にわたっているのです。そりゃまあ、全部で909巻もあるからね。
アカデミックな道楽の手引書というか。実際、「○○入門」とか、「○○鑑賞のために」といったタイトルも多いしね。
要は、NHKの番組「美の壺」?、あれの紙媒体版みたいなモノです。
 
でも、まあ、あくまで30~50年前の本ですから、書かれている「最新技術」が、今じゃとっくに時代遅れだったりして。
そうそう、「現代社会で生きる私たちが忘れ去ってしまった、自然への畏怖、伝統技術への尊敬」みたいな記述がたくさんあって、50年前も今と一緒かよ!と思わずツッコミを入れたくなる、なんかエジプトのピラミッドの壁に彫ってあった「最近の若者はなっとらん」的な笑いの要素があって、非常に微笑ましいです。
 
現時点で私の手元には、41冊のカラーブックスが特設本棚で威容を誇っておりますです。安いのよ、カラーブックス。ヤフオク100500円ぐらいで買えちゃうのよね。そんなワケでして、いきなり増えました。喜ばしい事なのです。
 
実際に手にするとですね、まあ文章が書いてありますから読みますよ。で、老眼で遅読の私でも1時間もあれば読み終わっちゃいます。そんだけ写真や図版が多いのです。
そー考えると、確かにコレ、当時のサラリーマンが通勤途中、電車やバスで読むには最適なモンだったんでしょうな。
で、結構、文章が良かったりします。
10の駄作に触れるより、1つの名作に10回触れましょう」とか、「人間中心的な見方・考え方は、まずは捨てるべきですよ」とか、当時の各ジャンルの専門家の皆様が、単なるオタク・マニアではなく、相応の教養を有した知識人であった事が窺えて極めて心がなごみます。
 
そーなのよ。この時代、いくら高度成長期とはいえ、まだ、文章に対する畏敬の念といいますか、誰もが真摯な態度で作文なる行為と向き合っていたのだと思うのよ。だって当時、自分の文章を不特定多数に発信するって、一個人にとっては大きな責任を担う一大事業だったワケでして、そりゃあ気合もハンパなかったんでしょうね。
 
それが今じゃ、私が言うのもなんだが、浅学で知的水準が残念な連中ですら、ブログだの、ツイッターだの、フェイスブックだので、不特定多数に対し己の言葉を安易かつ無責任に発信できるようになってしまいましたでござる。結果、読むに堪えない、品性・知性の欠片もない、クソ文章が巷に溢れるようになりましたです。それに引きずられたかどうかは知らんが、マスメディアも、どーしようもなさにさらに磨きをかけました。
これ、社会の幼稚化現象の一事例です。
 
カラーブックスって、まあ、写真がいっぱい掲載されているのよね。でも、当時の印刷技術ですから、そのモノ本来の美しさやそれを取り巻く空気感も、現物には遠く及ばない。だから、読者の「本物が見たい!」という荒ぶる欲望を刺激してくれるのよね。
今の出版物や、薄いテレビとか、パソコンみたいに、「本物より本物!」チックな図版・映像・画像ってさ、それで満足する事を目的にしているモノだから、結果的に大衆の無気力化・感性のインポ化を招いていると思うです。
 
実体のおぼろげな姿しか伝えない不完全な情報こそ、本当の好奇心を喚起させるのだと思うです。だからこそ、単なるレトロ趣味以上の価値が、カラーブックスにはあると思うです。
 
同時に、なぜそれが、今から4050年前の、紙媒体版「美の壺」で実現できたのか?
そんな考察もまた、カラーブックスを楽しむ、1つの作法だと思います。