直六国防挺身隊

母は来ました今日も来た。嫁をイビリに今日も来た。

ツイッターじゃダメなのかしら?

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KZ1300のメーターケースにプラサフを吹きました。




・・・とまあ、こんな感じのブログ記事ってあるじゃないですか。
オモシロくもなんともない画像と、「オイル交換しました」とか「近所を走りました」って文だけの。

こーゆーの、何が目的なのでしょうな?

たぶん、毎日更新する事により、訪問者数を増やのが目的なんでしょうけどね。

でも、もう少し書く事があると思うのですよ。特にオートバイなんて、オッサンしか乗っていないのですからね。
40歳以上の男性なら、相応の社会経験、知識の積み重ねがある筈です。そんな立派な社会人であるオッサン達が、こんな感受性が欠落し、思考停止した記事を発信するワケがありません。

そもそも、いー歳したオッサンが「訪問者数を増やしたい」って、かなりキモイです。
「自分はキモイ人間です」と、不特定多数にアピールするメリット。絶対にないと思ます。分別あるオッサン達が、そんな真似をするワケがありません。きっと別の理由がある筈です。

で、考えてみました。

エリート官僚の家に生れ、無能な銀行員として海外赴任。そのまま銀行を辞めて、親のお金でパリでの遊蕩三昧。
日本に戻ると、生来の才能を開花させ、あっという間に一流作家の仲間入り。芸術と痴情まみれの充実した人生を送ります。

ところが世の中は太平洋戦争に。「破廉恥小説は時局に合わない」とされ、お上によって創作活動を禁止されます。
さらには東京大空襲で、自分が愛した江戸の情緒を残した街並みも、お気に入りの自宅も、大切にしていた蔵書も、わずか一夜で焼失します。風呂敷包みを1つぶら下げ、岡山県に落ち延びます。
そこで、全くの偶然により、自分が見出した天才にして無二の親友と再会。
1945年8月14日の晩、この親友とすき焼きパーティを開催します。
翌日、玉音放送が流れている間、汽車の中で松子さんお手製のおむすびを食べていました。

戦後、戦時中に書きためていた作品を発表。しかしその後は、目立った創作活動は行わず、若い頃から書き続けていた日記も、「●月×日曇り、今日はかつ丼を食べた。以上。」みたいな一日一行の記述といった具合に。
社会の常識や道徳にケンカを売って、自分の芸術を貫いた異端の文学者。その晩年がこんな感じですから、なんか本当に切ないし、この人らしいって気がしますです。

・・・と、ある意味で文学者としての頂点を極めた人が、「オイル交換をしました」「近所を走りました」って記事を書いているのかもしれません。
という事は。ヤバイ、この人、胃潰瘍をこじらせて孤独死する直前だ!

んなワケねえか。

じゃあ、アレですよ。特定の人物・組織に向けたメッセージ。つまり、暗号なんですよ

例えば、「オイル交換をしました」をローマ字に変換し、秘密の乱数表と組み合わせると、「●●を始末しろ」とか「××国の秘密兵器を奪取せよ」とかって意味になるんですよ、きっと。そして画像も特殊なソフトで読み込むと、地図とか証拠の写真とかになったりしてね。

つまり、「オイル交換をしました」「近所を走りました」って記事を書いている人は、某国の諜報員なのですな。
う~んカッコイイ。

ああ、秘密の乱数表、欲しいなあ。そうだ、ネットバンキングの振り込みの時に使う乱数表があったな。アレで意外と解読できるかもしれない。どれどれ、早速やってみ・・・うわなにをするやめ

と、こんな事でもない限り、文だけのブログ記事って意味不明です。