直六国防挺身隊

母は来ました今日も来た。嫁をイビリに今日も来た。

極めて限定的なオートバイ好きのため「だけ」の小説⑰

平安時代律令の解説書として撰集された「令義経」に次のような記述がある。
「悪疾所謂白癩、此病有虫食五臓。或眉睫堕落或鼻柱崩壊、或語声嘶変或支節解落也、亦能注染於傍人。故不可与人同床也」。
※たぶん、「白癩という怖い病気がある。虫に内臓を食われ、顔は腐り崩れ、声はかすれ、手足がもげる。この病気は伝染するので、患者には近付くな」という意味だと思います。

この白癩という病気は、一般的にハンセン病として認識されている。しかし、その一方でハンセン病以外の皮膚病も含んでいる可能性を多くの研究者が指摘してきた。
1976年、日系アメリカ人のポップ・ヨシムラ医学博士は、「ある特殊」なハンセン病患者から採取した細菌を調査・研究。その結果、この細菌がいわゆる「癩菌」とは全く異なる生命体である事実を発見。S字状の外観からこの細菌を「スズ菌」と命名し、NEJM(The New England Journal of Medicine)に論文を発表。当時の細菌学会は、この新発見に大いに沸いた。

ヨシムラ博士の論文では、スズ菌に感染した場合、皮膚症状・神経症状はハンセン病に酷似しているが、皮膚に出現する斑紋がハンセン病では「白または赤・赤褐色」であるのに対し、スズ菌病では「白と青の2色もしくは黄色」である点が大きく異なり、患者の初期診断において最も留意すべきであると言及している。

癩菌に感染した場合、その症状は皮膚と末端神経に限定されるが、スズ菌に感染するとこの2つの症状に加え、脳の海馬が大幅に委縮し、アルツハイマー認知症が発病。知能が著しく低下し、感情の抑制が不可能となる事が確認されている。要は白痴化するのである。

また、感染力は極めて低いものの、正確な感染経路が証明されていないので予防は不可能である。特定メーカーのオートバイを所有する事で感染するとの民間伝承も存在するが、近年の研究によりスズ菌に感染する事でそのメーカーのグロテスクなオートバイが無性に欲しくなるとの報告がなされている。

そして、スズ菌病の最も怖ろしい点は、今なお治療法が発見されていない点である。
ハンセン病治療の主体である、ジアフェニルスルホン (DDS)、クロファジミン (CLF)、リファンピシン(RFP)の3種を併用する多剤併用療法(MDT)をスズ菌病患者に試用した臨床実験も何度か試みられたが、いずれも効果は確認されなかった。そもそもスズ菌と癩菌は感染者の視覚的症状が似ているだけで、DNAの近縁関係は皆無であった。

ヨシムラ博士は、スズ菌病の治療法を確立すべく1978年、この未知の細菌の発生源である日本に渡った。しかし、研究中は「集合管式」と呼ばれる完全な防護対策を講じていたにも関わらず、スズ菌に感染。日に日に科学者としての知性と理性を失う中、ヨシムラ博士は「感染力が爆発的に増大した原因は?」「単細胞生命であるはずのスズ菌に自己防衛の意志があるのか・・・」、そして感染から3週間が経過し、最後に「とる・ねど」という謎の言葉を記したレポートを残し失踪した。

国内外に限らず中世~現代にかけ、スズ菌病患者とハンセン病患者は同一視されてきた。そして、スズ菌病患者という見た目だけはよく似た縁もゆかりもない知的障害者達による欲望の赴くままの蛮行の濡れ衣を着せられ、ハンセン病患者達は有史以前から差別と迫害の歴史を歩むことを強いられてきたのだ。

その意味で、1976年に発表されたヨシムラ博士の論文は、世界中のハンセン病患者にとって差別撤廃に向けた強力な援護射撃となった。当時も根強く残っていたハンセン病患者に対する偏見の対象は、スズ菌病患者にこそ向けられるべきである事が、科学的に証明されたのだから。
ちなみに日本において、1907年に制定されたハンセン病患者強制隔離政策の後ろ盾であった悪法「らい予防法」が廃止されたのは、ヨシムラ論文が発表された20年後の1996年であった。そして2000年代になっても、元患者に対する宿泊拒否など、ハンセン病への差別は根深く残り続け、現在に至っている。
なお、当時の日本政府はらい予防法を廃止した同年、「スズ菌病予防法」を制定。スズ菌病患者に対する迫害・弾圧政策を開始した。

静岡県の浜松を拠点とする暴力団・鈴木組とは、こうして地下に潜伏したスズ菌病患者達の相互扶助組織なのである。

つづく