直六国防挺身隊

母は来ました今日も来た。嫁をイビリに今日も来た。

結論としては、第三次世界大戦でも起きなきゃ治らんな⑤

大昔は無慈悲に淘汰されていた弱者。とは言え、同じ人間ですからね。淘汰する側の為政者とか、軍人とか、金持ちとか、そーゆー強者の皆さんも仕方がないと思いつつ、なんとかしてやりたいという気持ちもあったでしょうね。
やがて時代が過ぎ、社会システムや科学技術の発達で、弱者を淘汰する必然性は希薄となっていったのでござる。めでたし、めでたし。
で、現代になったワケです。

さてさて。

幼稚な社会とは、大雑把に言えば、あらゆる弱者に迎合した社会の事です。
女性に迎合した社会、子供に迎合した社会、高齢者に迎合した社会、障害者に迎合した社会、低階層外国人に迎合した社会、被差別階層に迎合した社会、社会不適合者に迎合した社会。

弱者とは、社会において自立・自活できな存在の呼称である。それを、社会的に自立・自活させるには、他者が援助・補助しなければならない。
この「他者」とは、誰の事でしょうかね?

江戸時代、貧乏長屋に暮らす子連れの後家さん。
まあ、江戸っ子は義理人情に厚いから、長屋の連中、何かと気にかけてくれますよ。
大家さんは家賃を待ってあげたり、魚屋の若い衆は売れ残りの魚をくれてやったり、お節介な隣のおかみさんは知り合いのつてで勤め先を世話してくれたり。

農村でもそーだった。
権兵衛さんとこの三男坊は知恵遅れのウスラバカで、年がら年中ションベン垂れ流している。
でも、まあ、人畜無害で悪い奴じゃないし、力仕事は喜んでやるから、村全体で見守ってやろうじゃねーか。
ただし、飢饉の時は別だがな!みたいなね。

国・社会制度として、弱者への生活救済・社会進出支援などが整備されていなかった時代でも、人間のいわゆる「善性」ってヤツのお蔭で、そのコミュニティに一定の余裕があれば、それなりに弱者を淘汰せず、居場所を用意してきたわけだわさ。

私はね、ここまでで充分だと思うのよ。弱者に対する救済・支援って。
子連れの後家さんのケースだと、おかみさんに紹介された仕事が上手くいくのもいかなにのも、あとは本人の能力・覚悟・責任次第でしょ。

今は、死語かもしれんが核家族化で都市部では矮小地域のコミュニティは崩壊し、田舎じゃ過疎化によって形骸化。そんなワケで、国の行政や地方自治体がその部分を補完する。
所詮はそこまででしょ。

ところが、近代を経て現代社会に至っては、弱者である事が既得権益化し、弱者の都合にそぐわないインフラや制度は、それにどんなに合理的・論理的・倫理的正当性があろうと「社会悪」と見なし排除し、その代わりに手前ェのケツも拭けない連中が優先的に利益を享受できるような歪なインフラ・制度が量産される一方です。

山手線とか都内の地下鉄のホームドア、アレなんかその典型ですよ。極めて無駄な社会投資です。
普通、誰も駅のホームから落ちんだろ。落ちるのであれば、アナタは三半器官か脳に障害あるんだろうから医者に行きなさい。つーか昔から、そんなに年がら年中、ホームから人がボトボト落ちていたら、山手線や地下鉄どころか、鉄道という交通インフラ自体、成立していなかったハズじゃないですか。

結局、落ちるのは、ガキか、盲か、ボケ老人や酔っ払いぐらいだろが。ガキは親がちゃんとしつければいい話ですし、盲は転落覚悟で介添え人なしの電車利用を自己責任で決断したのだろうから本望だろうし、ボケ老人や酔っ払いに至っては勝手に死ねですからな。つまり、ホームから転落して電車に轢かれて死ぬ輩に対し、国や社会や鉄道会社は一顧だにする必要はないのであります。

だから、あのホームドアってさ、ホラ、アナタの近所の保育園とかでさ、ガキどもを園外に連れ出す時に使う、子連れ狼の大五郎が乗っているアレの拡大版的な手押し車あるじゃないですか。アレと基本的に同じですよ。

つまり、弱者に迎合する事により、社会は保育園化・幼稚園化・小学校化していくのです。
実際、政治家の失言とか芸能人の不倫とか、「い~けないんだ、いけないんだ。せ~んせいに言ってやろ」と大騒ぎし、そんなどーでもいい事をまるで重大問題化し、社会的制裁を科す。そんな小・中・高等学校のイジメと同じ構図が社会全体に蔓延っているのが、社会が幼稚化しているその証左ですよ。

いずれにしても、万民等しくガキ扱いする社会。そんなモンに付き合わされる我々、弱者でも強者でもない、圧倒的多数派の「普通の人々」にしてみれば、迷惑以外の何物でもありません。
個人の尊厳は貶められ、自己責任に基づく権利をも侵害され、その代償が「は~い、皆さ~ん、良い子にしてまちゅか~?そんな皆ちゃまにご褒美で~す!貧困シングルマザーを救済すべく、今までの手厚い補助金にプラスして今度は学校無料化を実施します。そんなステキな政策に皆さんも参加できるよう、税金を引き上げま~す♪」ですからね。

いろんな意味でやってられんわ。

社会が正常に発展すれば、必然として社会は幼稚化するのでしょうね。それは、日本に限らず、いわゆる先進諸国は、どこもそーでしょうし。ただし、幼稚化した社会が正しいとは一片たりとも思えません。弱者ビジネス・被害者ビジネス・子育て権益ビジネスといったタチの悪いタカリ屋が横行し、税金を食い潰すだけならまだしも、正常な個人主義の発達を阻害し、「普通の人々」の愚民化に拍車をかけるだけの害毒です。

じゃあ、それを止めるには?無理でしょ。
逆ににさ、今、幼稚じゃない社会ってどこよ?
中東とか、南米とか、アフリカとかの、阿鼻叫喚の地獄絵図の地域でしょうね。
人間が剥き出しのケダモノであった頃の、生きた化石のワールドです。

よーするに、あーゆー状態に戻らんと、人間社会は幼稚化から脱却できないって事。
日本は室町時代無政府状態に、アメリカは南北戦争時代に、ヨーロッパは古代~近世のいつでもいいよ。
それに戻るかね?不可逆という言葉があるように、それは絶対にないですな。

つまり、次にくる、世界のリセット、第三次世界大戦でも起きて、世界秩序が根底から覆らん限り、世界の幼稚化は止まりません。まあ、世界の幼稚化が世界大戦の引き金になる可能性は充分に高いと思いますけどね。

そんな感じで世界大戦が勃発し、世界は焼き尽くされ法も秩序も道徳も失われ、荒廃した大地は弱肉強食の無情で残忍な掟に支配された。

「クソが、手こずらせやがって、トドメだ!」
そう吐き捨てたモヒカン男は、俯せで地面に倒れているどてら姿の老人の死骸に、カラシニコフの弾倉に残った銃弾全てを叩き込んだ。
「まったくだこのジジイ、竹槍で俺たちに手向かうなんざ、身の程知らずもたいがいにしろってんだ」
モヒカンの相方のドレッド男が老人の死骸に唾を吐いた。
「それはそうと、コイツが守ろうとしたあのバイク、いったいなんなんだ?」
モヒカン男の視線の先には、安物のバイクカバーに包まれたオートバイが鎮座していた。ドレッド男が、乱暴にバイくカバーを引き剥がすと、巨大なネイキッドバイクが姿を現した。
「なになに?『カワサキZ1300』だと?こんなバイク知らね-なあ」
「古臭いが、随分とデカくて強そうじゃねーか。俺たちワイルドスペーサー団にはピッタリじゃねーか」
「相棒、ダメだコイツは」
「なんでだ?」
「だってコイツ、マニュアル車だ!」
「ちっ!AT限定免許の俺たちじゃ運転できねーじゃねーか!ホントにムカつくジジイだぜ!だったら、この屑鉄と一緒に地獄に落ちな!」
そしてモヒカンとドレッドは、老人の死骸とZ1300にガソリンを浴びせ火をつけた。
「ヒャッハー、ひゃはははは!」
高笑いとともに、ゆとり世代の2人の無法者は、かつてはひたちなか市と呼ばれた土地に唯一残った人家を後にした・・・。

世紀末救世主、カモ~~ン!!