直六国防挺身隊

母は来ました今日も来た。嫁をイビリに今日も来た。

そーいや、19(ジューク)ってバンドがいたなあ

なんでもこのあいだ、さがみっぱらで知的障害者が虐殺されたそうですな。
ヤッたのは、その施設の元職員。

まあここ最近、世界中で大量虐殺が起きていますから、グローバル化の昨今、日本もそんなブームの波に乗った格好となり喜ばしい事ですな。

そーいや、日本でもポケモンGOがスタートしたそうで。で、どーやら我が家の庭にもポケモンがいるみたいなのです。
つい先日、見ず知らずのアカの他人がですな、我が家の庭に侵入し、スマホを私の愛車の手前の地面に向けていたのです。
「なんばしよっと?」と声をかけると、
「あ、すみません。そこにポケモンがいるのです」
だってさ。

その時の私は機嫌が良かったので、この人、事なきを得ましたが、私の機嫌が壊滅的に悪かったらどーなっていたのでしょう?
そーいやアメリカじゃ、そんな感じで射殺事件が起きたそうな。

これがグローバル化か!
まあ、別にいいんですけどね。

さて、さがみっぱらの虐殺。
基本的な構造としては、「何者かが深夜に小学校に侵入し、生徒たちが飼っていたウサギやニワトリを皆殺しにした」ってのと一緒ですなあ。

つーか、悔しい事に、1つの本質的な問題提起になってしまいましたです。

正直さ、知的障害者ってキモイよ。
私、小学生の頃、電車とバスで学校に通っていたのよ。で、電車はいいのよ。問題はバス。
通学時間帯が同じですから、必ず養護学校に通う3人組のオスの知的障害者が同乗するのよ。で、そいつらが本当にキモイし恐かったのよ。
そもそも見た目が普通の人間jじゃない。目・鼻・口が過剰なまでにやたらと顔の中央に集中している。で、常にニタニタ笑っている。体はデカイし、首ないし。で、そんな連中が突発的に奇声を上げる。たまに、私に襲い掛かってくるし。
小学生のガキにしてみれば、知的障害者って、ホラー以外の何物でもないのよね。

だから、私としては知的障害者が何千・何万と虐殺されても「ふーん。だから何?つーか、殺された知的障害者の親族、やっと重荷から解放されてラッキーだったなあ」としか思えん。
ヘンな話、池田小や秋葉原の事件のような、憤りって全くないのよね。
まあ私が個人として、ガキの頃のトラウマとして知的障害者に対し嫌悪感を抱いているからなんですけどね。
そーゆーのがない人は、たぶん、野良猫が近所のキチガイに殺された事に対するのと、同質の憤りを感じているだけでしょう。
無抵抗な弱者が、一方的に虐殺されたことに対する憤り。

ふむふむ、成程成程。

私の個人的な見解ですが、一線を超えた知的障害者って人間じゃないですもん。
都営バス内において、国立大学附属小学校の制服に身を包んだ8歳の私のチンチンをしゃぶろうと襲い掛かってきた知的障害者共、ヤツラはまだ人間ですよ。イカれていても、自我があるから。
でもさ、今まさに自分が殺されそうになっているにも関わらず、抵抗する事も、逃げる事も、助けを呼ぶ事もしない・できない存在って、人間かどうかの前に、生命体として成立しているのかね?

勘違いしていただきたくないのですが、障害者と言っても身体障害者、この人たちは正真正銘の人間ですよ。
パラリンピックの選手もそーですし、盲でも座頭市はカッコイイし、つんぼでもベートーベンは天才ですし、何よりも乙武クン。あれだけのハンデがありながら、愛人5人を囲う心意気。いやはやなんとも豪傑ですなあ。

肉体的に欠損・過剰がどーであれ、脳みそが正常なら人間ですよ。そーゆー人らがさ、肉体的ハンデを理由に可能性を摘み取られる。それは絶対に阻止すべきですよ。

でも、人間を人間足らしめている要素、すなわち脳みそ、それが人間どころか動物・植物レベルにまで達していない存在も、果たして人間なのでしょうか?それに人権ってあるのかしら?
無条件に、生物学的に人間なら人権が発生する。それは、現代法治国家の大前提です。
それは極めて理に適っているのよね。
でも、その絶対的に理に適う事が、今の社会独特の歪を生んでいるのよね。

重度知的障害者の意思なんて、お釈迦さまにもワカリマセン。
でも、もしアナタが、あーゆー状態になった場合、アナタは生き続けたいですかいな?それともスッパリ死なせてほしいですかいな?


事故で植物状態になる。アルツハイマーになる。そーゆー想定ができるうちら健常者はね、今のまともな状態でキチンと意思表示できるから良いのよ。
でもさ、生まれつき自分の意思表示する機会も手段もなかったのでしょ、今回の知的障害者連中って。

ひょっとしたら、植物人間もアルツハイマーも重度知的障害者も、ちゃんと自我があって、「生きたい」「死にたい」って意思があるかも知れません。でもさ、アルツハイマーの人とか、もし自我があったら最悪だろうなあ
そこらじゅうにクソとションベンまき散らし、息子や嫁の首を絞めたりするの、自分の意思で止められないのですからな。自我がないから救いがあって、あったらそれこそ地獄でしょ。

結局、本人以外は本当の所はワカリマセン。
だから、グレーゾーン。
だから、周りは知的障害者本人の意思を完全シカトで、生かし続ける事にしました。
誰も無用な責任は負いたくないですからな。

困るのは、生かし続ける事が義務となった親族でしょ。
身内に知恵遅れのウスラバカがいるのは恥ですし、経済的負担も半端ない。
今回の被害者の氏名を公表しなかったのは、被害者親族の恥を公にしないという、神奈川県警の粋な配慮です。

結局さ、知的障害者なんて社会のお荷物以外の何物でもない。
だからって単純思考で一方的に処分するのは如何なモノか。
少なくとも、今回の犯人のバカに、重度知的障害者を駆除する事が正義と判断する権限もなければ、駆除を実行する権利もない。
単なるキチガイの独りよがりの犯罪です。

だからこの事件の背景なんて追うだけ時間の無駄。
言及すべきは、この事件が提示した、重度知的障害者を法の下、人間と扱うべきか否か。
扱うべきと判断するのであれば、その合理的正当性を実証してみてください。
できんよ。だってないもん。

でも、合理的正当性がないから、重度知的障害者を駆除するべきかって言ったら、アンタ、命は大切にでしょうが。
オケラも、アメンボも、ミミズも、みんなみんな生きているんだ友達なんでしょ。
だかラ殺すには、ウシやブタやニワトリやサンマやマグロやタラバガニを殺すのと同様の、合理的正当性が必要です。

そんなワケで、臓器移植以外に治療する術のない病魔に苦しむ未来ある健常者の子供が助かり、才能豊かな身体障害者四肢や眼球・耳・鼻・声帯の移植が技術的に可能であれば、重度知的障害者の人権を剥奪してもいいんじゃね?

とまあ、これはこれで一段落。
「弱者」を主題に、関連記事をまた書きます。