直六国防挺身隊

母は来ました今日も来た。嫁をイビリに今日も来た。

極めて限定的なオートバイ好きのため「だけ」の小説①

がしゃん。
背後で鉄製の扉が閉められる音がした。Z1000Jにとって4年ぶりのシャバである。


「アニキ!お勤めご苦労様です!」
懐かしい声がした。
声のする方に目をやると、舎弟のZ400FXの姿があった。
少し間を置き、Z400FXに向かって歩き出すZ1000JZ400FXの目の前まで来ると、手にしたボストンバッグを手渡しながら、
「なんだ、お前1人か?」と尋ねた。
うやうやしくバッグを受け取りながらZ400FXは、「へえ、会長がアニキは派手な出向かいとかは嫌いだとおっしゃったもので、あ、マズかったですか・・・」と恐縮した。
「いや。会長に気を遣わせちまったな」
そう言うとZ1000Jは何気なく空を見上げた。鉄格子に遮られる事もなければ、塀に囲まれる事もない、早春の青空が清々と広がっている。Z1000Jはシャバに帰ってきた事を実感した。
 
Z会」は、兵庫県明石市に本部を置く西日本最大の暴力団である。表向きは小・中・高校生を対象とした通信添削を行う教育法人であるが、その実態は麻薬の密売、賭博、闇金融、売春、密入国の斡旋、人身売買など、あらゆる非合法ビジネスを行っている。東大合格者の半数以上がZ会の通信教育の利用者であり、その闇は深い。
初代Z1が結成した当時はニューヨーク風ステーキ用の牛肉解体業者の互助会的組織であったが、二代目Z1000MKⅡの時代にモヒカン・革ジャン姿の野盗的性格を強め急速に勢力を拡大。しかしZ1000MKⅡが対立組織に暗殺され、しばらく会長不在という状態となり、組織として不安定となり衰退した。そんなZ会を救ったのが現会長である三代目Z1000Rであった。
Z1000Rは三代目を襲名するとすぐさま、二代目Z1000MKⅡを暗殺した鈴木組系クーリーGS組を壊滅。その背後に控え、西日本進出を目論む本田技研興業の尖兵であるスペンサーCB-F組にも容赦なく牙をむいた。そして1981年から1982年までの抗争の末、Z会は鈴木組・本田技研興業勢力を近畿地方から一掃。この一連の暴力団同士の抗争はのちに、「AMA戦争」と呼ばれている。
AMA戦争が終結すると、Z1000R率いるZ会はその勢いに乗じ近畿地方を制圧し、すぐさま中国地方・四国・九州に進出。数多の対立抗争を繰り広げた結果、傘下団体500組織、構成員1万人を超す巨大組織に発展した。これにより、日本最大の指定暴力団である本田技研興業に次ぐ、暗黒社会の一大勢力にのし上がったのだ。
 
Z400FXが運転する、Z1000Jを乗せた車はZ会本部に到着した。自動車はそのまま本部正門を抜け、本部建物の車寄せで停車。玄関脇に立っていた若衆が車に駆け寄り、後部ドアを開く。悠然と車から降りるZ1000J。ドアを開けた若衆が深々と頭を下げる。車はそのまま走り去った。
見ない顔だなと思ったZ1000Jはその若衆に声をかけた。
「兄ちゃん、新入りかい?」
「はい、Ninja250という駆け出し者です。Jの兄さんのお噂はかねがね・・・」
「ああ、もういい。しかし、最近の若い極道は随分と小奇麗になったもんだ、気に喰わねえなあ」
Ninja250が硬直した。
「なにビビってんだよ、ちょっとからかっただけだよ」と言うと、Z1000Jは笑いながらNinja250の肩を軽くポンポン叩いた。Z1000Jにとっては軽くとも、Ninja250にしてみれば鉄パイプでブン殴られたようなものである。Ninja250は肩を脱臼した。悶絶するNinja250を呆れ顔で見下ろしながら「大袈裟だなあ」と言い残し、1人で玄関を抜け会長室に向かった。
 
ノックをして少し間を置き、会長室の重厚なドアは内側から開かれた。
「失礼します」
一礼して会長室に入るZ1000Jにとって懐かしい顔が揃っていた。Z会三代目会長Z1000Rと、副会長のZ1100GPだ。
「兄弟、久しぶりだな」と素っ気ない、しかし労りの心のこもったZ1000Rの声がZ1000Jの耳に届いた。
「兄貴・・・」それだけ言うのが精一杯であった。Z1000Jの目から涙がこぼれた。
 
つづく