直六国防挺身隊

母は来ました今日も来た。嫁をイビリに今日も来た。

食い扶持減らすにゃ手間要らず~♪我が子を殺してドブに捨て、ついでにカミさん売り飛ばし、爺や婆は豚のエサ~♪

我が家をオートバイで出発。北に向かって40分ぐらい走ると、鬱蒼とした、森だか山だか峠だかに至るのです。で、道路の看板の「袋田の滝」とかを頼りに適当に進むとですな、そんな山間に小さな集落とかがあるのです。

小さな田んぼや畑があって、そこを小さな川が流れている。藁葺屋根を小豆色のトタンに変更したような、人の気配があまりしない家屋がポツリポツリと佇んでいます。酒屋や床屋がほぼ確実にあるのですが、営業しているかどうかも疑わしい。
まあ、そんな集落ですよ。

オートバイが通れる舗装された道路沿いの集落ですから、特に何がどーという事もないのでしょう。そもそも、日本の原風景と言えばそれまでですし、住んでいる人たちも普通に親切だったりします。ところが、「長男が生まれるまで、その前に生まれた女の子は神隠しと称しみんな殺される」的な、昔からの忌まわしき因習が今も残っているのでは?と思わず感じてしまう、得も言われぬ雰囲気を醸し出しております。

「外界と隔絶された集落」というモノはそれだけでロマンがありますなあ。横溝正史の「犬神家の一族」「獄門島」「八ツ墓村」にしろ、2ちゃんで話題になった「日本国憲法が通用しない集落」とか「医者をイビリ倒して追い出す村」とか。

外部と遮断された集落の場合、そこの自然環境や歴史的経緯などで、独自の価値観や倫理観、すなわち信仰や風習などが生じるのは当然だと思うです。しかしその一方、交通機関や情報媒体の発展に伴い、こうした地域の独自性が失われていくのも、自然の摂理ですなあ。

でも、残るモノは残ると思うのですよ。

浅草の三社祭とか、京都の祇園祭、青森のねぶたや博多のどんたくなど、全国的に有名なお祭りも、元をただせば各々の地域の歴史や環境によって発生した、一種のオカルト・イベントなのですからな。まあ、こうしたお祭りは本来の趣旨以上に、観光資源という側面もありますが、やはり残っている理由としてその地域の信仰や歴史・文化というのもあると思うのです。

と言うか事実として、日本各地に「秘祭」と呼ばれその地域の人々以外、絶対に参加はおろか見物すらできないお祭りも残っているみたいですし。

まあ、「お祭り」は地域の独自性の一事例に過ぎませんが、現代社会では理解しがたい不可思議な文化や伝統や因習を残した集落が、ひょっとしたら日本のどこかに存在しているのかもと想像・妄想する度に、年甲斐もなくワクワクしてしまうのです。

宮沢賢治イーハトーブのお話と、柳田国夫の遠野物語、なんか似ていると思うのですよ。実際、花巻市遠野市ってお隣同士ですし。

例えばグスコーブトリの伝記。飢饉の際、お父さんとお母さんは自ら命を絶ち、妹は人買いに攫われます。ブドリは飢饉の惨劇を防ぐため、自らの命を犠牲にします。
一方、遠野物語の場合、神隠しとか経立とかマヨイガとか「何か超常現象的な理由」により、子供や女性がコミュニティから忽然と消えます。

要は「姥捨て」「間引き」ですな。
そんな忌まわしい風習が、岩手県のあの辺りでは普通に行われていたという事を、賢治童話や遠野物語は暗に示しているのではないでしょうか。

賢治童話の裏側に潜む得体のしれない不気味さ。遠野物語に淡々と綴られた地域社会の狂気。これらが、似たような風土や歴史・文化を土台にして誕生したのは非常に興味深いです。

「家」という概念は、まあ、洋の東西・人それぞれでしょうな。
でもですな、日本の場合、「家」をコミュニティの最小単位と捉えているようなイメージがあります。特に外と隔絶された集落だと、その傾向が強いみたいな。

「家」が隔絶集落社会の最少単位ですから、当然、それを構成する個人はカウントされません。
で、全世界=集落の平和と秩序を守るためなら、場合によっては「家」が犠牲になるのは当然です。
それを避けるべく「家」は生存本能を働かし、集落の意向に適うべく個人=家族の命を容赦なく奪います。
その際、しばしば犠牲にされるのは女性や子供です。特に、外部から来たよそ者=妻や、「家」にとって重要性の低い長男以外の子供が、真っ先に犠牲にされます。長男が犠牲になるお話しとかの場合、その「家」自体を消滅させるという、集落の思惑なのかもしれませんね。
信仰によるものか、単純な食糧難なのか、その地方を治める為政者の命令なのかはワカリマセンが、お隣さんやご近所さん、さらには自分の家族を、「集落」とか「家」のため殺害する。えげつないですなあ。

良心の呵責に耐えきれない人が、神様とか妖怪とかに責任転嫁したお話を捏造。それが今に伝わるのでしょう。
良心の呵責がない人は、黙して語らず。外部の人間に対して親切に、ニコニコしているだけ。

そんな集落を1人の旅人が訪れます。日も暮れ、一夜の宿を借りる事に。その宿の主人や家族も含め、集落全体で旅人をもてなします。程よいお酒と旅の疲れで、早めに床に入った旅人。夜半過ぎに目が覚めると、台所から「シュッ、シュッ」と包丁を研ぐ音が。思わず部屋の襖に目をやると、わずかに開いた隙間から冷たく光る瞳が自分を見つめている・・・

とまあ、「今夏のオートバイ旅行はどこに行くか?」を考えながら、頭に浮かんだ妄想を適当に書き散らかしてみましたです。
う~ん、やっぱり東北かなあ。長野・岐阜も捨てがたいのですが。