直六国防挺身隊

母は来ました今日も来た。嫁をイビリに今日も来た。

甘利さんの問題はカネより、眉毛から頭頂までの長さだろが

私、1つの文に同じ単語があるの、すごくキライなのですよ。
まあコレ、職業病なんですけどね。

例えば。
「甘利大臣が大臣職を辞任した」。
コレ、スゴク気持ち悪いのです。だって、「大臣」って単語が2つあるからなのです。
私なら、「甘利衆議院議員が大臣職を辞任した」って書きます。
ベストは「甘利大臣が辞任した」ですが。

1つの文に同じ単語が何度も登場するケースってしばしば見受けられます。
大概は素人さんの文章なのですけどね。それはいーのですよ。

問題はですな、「文章のプロ」が発信している文に、こーゆー同じ単語が何度も出てくるって事です。
特にネットで多いですな。

以前も述べましたが、インターネットのHPだのブログなど言うに及ばず、ツイッターとかもあってですな、一億総どころか全人類総表現者となった現代社会。私はですね、もっと多くのスバラシイ文章表現が発信されるだろうと期待していたのですよ。

ところがどっこい。ことごとく、素人さんの小学校3年生の作文レベルの文章ばかり。当然、文章を構成する文も、稚拙極まりない状況で御座候。
まあ、それはいいんですよ。

問題は、多数派を占める素人さんの文章に引きずられ、「ネットの文章はその程度の品質でOK!」って感じで、プロの文章も質が下がったって点です。
先の「文に同じ単語を繰り返す」なんてまだマシで、助詞の使い方が出鱈目で、誤字脱字のオンパレード。

要は、文章作成なる行為の扱いが、社会的に杜撰で軽視されているのでしょうな。確かに、絵画や彫刻、演奏、演技、陶芸、金属加工、溶接、ガントリークレーンの操作などと違い、文章作成は誰でもできるから、特別な技術と認識されないのは当然です。

パソコン・ワープロがない時代、手紙を1つ書くのも、それなりに日常の大イベントでした。可能な限りキレイな字を書かないとみっともない、時候のあいさつもセンスが良くなきゃかっこ悪いという世間体がありました。それ以上に、送る相手の気持ちを慮る文章を心がけ、昔の人は一生懸命、手紙を書いていたのです。
ましてや、小説家や詩人に評論家、さらにはジャーナリストなど、文章作成を己の生業としていた人は、「言葉」を発信する事に真剣でしたです。

むしろ、誰もが取得している技術だからこそ、絵画や彫刻や演劇や音楽以上に、真理と美を追求した表現をめざさざるを得ないのです。それこそ、文学が最強の芸術である所以なのです。
一方、ジャーナリストは自身の言葉に覚悟があり、その発信による責任を負うからこそ、旧態然とした社会の歪みや腐敗に対する、1人の美しきチャレンジャー足り得るのです。その様は極めて芸術的行為です。

しかしところが今や、ネットを介し誰もが簡単に文章を発信しています。本当に言葉が安っぽくなりました。
まあ、それはそれでいいと思いますけどね。

日本やアメリカやドイツって、人口の3分の2はバカなのですよ。
で、中国って国あるじゃないですか。あの国、人口の9割はバカなのですよ。
しかしですな、バカじゃない人の絶対数は、日本やアメリカやドイツより、圧倒的に多いのですよ。

そんなアホな根拠で、ネット社会おけるスバラシイ文章の発信を未練たらたらで期待します。